よもやま話

紅葉と焼き芋

秋も終わりを迎えようとしている。そして、山には赤や黄色に染まった木々が私たちを楽しませてくれる季節になった。まさに、自然の美しさを感じる。赤に色付くのを「紅葉」、黄に色付くのを「黄葉」というらしい。紅葉、黄葉といえば、その響きだけで、美しい景色が頭にイメージされるのは私だけではないと思う。これは四季のある国に住む我々の特権なのかもしれない。

ところで、「紅葉」「黄葉」は、それぞれ、どう読むのか。実は、どちらも同じ読み方、そう「こうよう」と読むのだ。「黄葉」を「こうよう」と読むのは少し違和感もあるが、実際にPCの漢字変換でも「こうよう」と打てば、その候補に「黄葉」が出てくるのである。勿論、「黄葉」は「おうよう」とも読む。

そこで、なぜ「こうよう」が存在するのか、その理由を調べてみた。「こうよう」は葉の老化に起因する科学反応だそうだ。

  1. 夏の間は、葉で光合成を活発に行う
  2. 光合成に適さない冬(日照時間減少)の前に、養分が葉から幹へ移動。葉は老化する
  3. 劣化の過程で生成される成分が、色付けをしてくれる

いかにもすばらしい。常に感じる事であるが、自然というのは本当に良く出来ている。これに対し、人間の行動は、こんなにロジカルではない。例えば…

  1. 夏の間は、日光浴をして、外で遊んで、日焼けしてみたい
  2. 寒くなると、体を動かさなくなるので体重増加の危機。その前にダイエットしておきたい
  3. ダイエットを決意したはずなのに、目の前の焼き芋を見ると、つい手が出てしまう

どうしても、感情が先行してしまう。自然に負けている気がする。

ところがである。

実は「紅葉」や「黄葉」を「美しい」と感じるのも、はたまた、季節の変化に「わびさび」を感じるのも「感情」による成果である。「感情」がなければ、「紅葉」「黄葉」はただの自然現象にすぎない。「ただの自然現象」を「美しい」「癒される」などと拡大解釈できるのが、「感情の特技」である。
そう考えると、やはり、人間には「感情」は必要なのである。

人間が物事を進める際、実は「感情」が先行していて、「ロジック」は後付け(他人に説明する手段)にすぎないと思える時がある。アイデアがどんどん湧き出す時などに特に強く感じる。

「アイデア自体も、それまでの勉強や熟考の結果である」という説もあるが、私には「感情」が大きく関係していると思えてならない。

そんな言い訳を長々と考えながら、今日も、焼き芋も美味しく頂こうと考えている。

また今年も、ダイエットは無理かもしれない。